父ヒロシ風に、父トシアキのことを書いてみようと思う。
おそらく、このような形で父の話を書くのは初めてではないだろうか。
わたしは、父に似てるところ結構あると思っている。
6月に撮った写真を見たら、なんとなーく顔立ちも似てるような気がした。
いちばん似てるところは、とにかく酒をよく飲むところである。
そこまではよい。お酒を飲めることで得したこともあるので、3人の子どもの中で唯一わたしに酒飲みのDNAを引き継がせてくれたことはとても感謝している。
しかし難点は、酔っ払い方も父譲りだということ。
わたしと酒をのんで被害にあったことのある方はお分かりかと思うが、酔って絡んでめんどくさくなるあの感じ、あれは完全に父から譲り受けたものなのだ。
今でこそ、自分も酒を飲むので酔っ払いの気持ちはよくわかるし、絡みたくなる気持ちもわかる。ただ、子どものころは、酒という液体に支配され豹変してしまった父は、恐怖以外のなにものでもなかった。
特に恐怖だったのは、大晦日の父。
実家では、大晦日の夜はお膳を用意し、家族全員で年取りの儀をする。
子どもにとっては、お膳は普段食べない黒豆とか数の子とかなますとか、あまり魅力的ではないラインナップのため、好きなお刺身とか荒巻ジャケとかカレイの煮付けとかだけささーっと食べて、テレビの前にすわる。
ドラえもんをみはじめてから、だいたい20:00くらいになると、恐怖の時間がやってくる。
ひとしきりご飯を食べて、酒を飲みまくり、いい気分になっちゃった父は、ドラえもんを見ている私たちに、めちゃめちゃ絡みまくるのだ。
ろれつがまわっておらず、足元はふらふら。
「お父さんはお前らが大好きだ!」
と大声で叫びながら、私たちを捕まえて離さない父。
しかしうちらはドラえもんがみたい!!
そっけない態度をとったりしていると、
「なぁんだぁ、イチエはお父さんのことが好きじゃないのかぁ!!」
と頭をはたく。
ドラえもんに集中したいのに勘弁してよという気持ちと、普段とは比べものにならないほど酔っ払った父への計り知れない恐怖は、なんとなくおわかりいただけるだろうか。
テレビの前の阿鼻叫喚をよそに、のんきにテレビの中のドラえもんは展開していくのだ。
しかしこの恐怖はいつも、突然終焉を迎える。
嫁として、大晦日は大掃除をし、家族全員を順番に風呂に入れ、家族7人分のお膳をつくり、食べさせ、片付けをすべてすませた母エツコが、年越しそばの準備に取り掛かる前に乱入してくるのである。
母エツコは下戸、かつ嫁であるため、大晦日は目が回るほど忙しいし、唯一のシラフ。そんななか、舅姑夫が酔っ払い、子どもに絡み、ぎゃあぎゃあされるとそりゃあ頭にくるのもわかる。
母エツコにドカンとカミナリを落とされ、父トシアキは、しょんぼりと自分の部屋に帰り、ガーガーいびきをかいて寝始める。
そのいびきは、わたしたちは平穏を取り戻したことの証明である。
そんな飲み方を、20年後に自分がするようになるとは微塵も思っていなかった。
そんな酒飲みの父トシアキは、今年の春に定年退職した。
高校卒業してから42年間、ひとつの会社に勤め上げたのである。
自分がオトナになって初めてわかること、なんて言っては、「たかだか30年ちょっと生きたくらいで、お前にお父さんの何がわかる」と、また酔っ払った父にはたかれるのかもしれないが、自分が30過ぎてもできてないことがたくさんあって、それを父は30年前にはぜーんぶやっていたのだなぁと思うと、ほんとうに頭があがらない。
そんな愛すべき酒飲みが、父トシアキなのである。