八戸にUターンしてきて、もうすぐ1か月がたちます。
いま、移住に関する仕事をしていますが、移住について、3週間経って思っていることをつらつら書きます。書き始める前に、完全に雑記になるだろうなーっと思ってたんですが、予想通り完全に雑記にしかならなかったので、この先読まれる人は超大作のひとりごとと思って読んでください。
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移住を決める理由ってなんだろう。
定住を決める理由ってなんだろう。
わたしは、学生→フリーター→結婚→離婚を経て、「骨を埋めるなら地元だなやっぱり」って思って、Uターンを決めました。でも、ここで暮らしながらも別の土地のことを考えていたり、「あーやっぱりあそこ住んでみたかったなー」とか、「もし失業したらあそこにいこー」って考えたりもしている。固執するほどの強い理由がやっぱりないのが、ほんとのところ。「本当に一生ここにいる」って断言しきれんとこある。
起業した人だって、起業できるんだったら極論どこに行っても生きていけるってなっちゃうし。産業の担い手系とか、職人系とか、そこじゃなきゃできない仕事とか、その土地にいる理由が明確な場合は、違うと思うんだけど。
となると、やっぱりいちばん見込みのあるところはUターン移住者か?とはいえ、「いつか地元」って思ってるひとたちの、「いつか」はいったいいつなんだろう?その「いつか」が現実になるためには、何が必要なんだろう。てか、そもそも、その「いつか」は本当にくるのか?
それも単身だったら?家族がいたら?見方も考え方も変わってくるよね。
あと、「移住者」っていう言葉に、なんか違和感を感じ始めてきた。「移住者」って呼んでしまうこと自体が、そもそも地域住民と移住者との間の壁を作ってしまっているんじゃないか。だから、移住者コミュニティじゃなくて、地域のコミュニティ。「その土地のことを思う人が集うコミュニティ」が大事なんだ。「お世話役」じゃなくて。一緒にまちを盛り上げようっていう人たちとのつながり。そのなかで、きっといろんなことが解決する。
わたしはいま移住を仕事にしてるので、自己紹介で「わたし自身も17年ぶりに八戸のUターンした移住者です」と言っているのですが、自分のことを「移住者」というたびに、なんだかよそものみたいだなわたしって思ってしまって、ちょっと苦しくなります。地元なのに、よそもの…プラスの要因では決してないよね。これも一種の疎外感。
もうひとつ、定住について。
じゃあ、わたしがなにがあったら八戸に骨を埋めようと思えるのか。
お宿ができたら?
仕事が超楽しかったら?
結婚したら?
子どもを産んだら?
家を守らなきゃいけない立場になったら?
お宿をつくっても、だれかに任せて別の土地行こうって思うかもしれないし。
万が一、2回目の結婚したとしても、相手がまた自由な人だったら、定住まで至らないかもしれないし。
でもさすがに子どもを産んだら、さすがに「腰を据えよう」と思うのかな。
子連れパッカーまでは、行かない気がする・・・笑
そもそも、定住って、「定住しよう」と思ってするもんなんか?
住んでみたら、居心地良かった、仕事が軌道に乗ってきた、家族ができた、子供が生まれた、とか・・・住んだ土地でどんな暮らしをして、どうなったか、ってことだよね。
そう考えると、定住って結果論なんじゃないか?って思えてしまう。
そうじゃなければ、決めの問題ってだけか?
結果論だったとしても、その土地に長く住むことになった人が住みよいと思える施策があるといいんだってことなのかなー。
あと、「定住した」と判断できるのはどのくらいの期間住んだらそうなるのか?ってのも気になる。
岐阜に「3年」住んだ私は、定住したと判断されるのか?
でも結果、飛び出しているから「定住した」とはみなされないのか?
その土地で世帯をつくり、子供を産み育てることがイコール定住となるならば、移住定住はいよいよ婚活と切り離せなくなっちゃうし。
うーん、今日のは完全に雑記だ。 根無し草的なことしか書けない。結論がない。
ずっと同じ土地に住んでる人の意見が聞いてみたいです。
ぷすん。